70's Music Cafe
70年代を彩るロック・ポップス・歌謡曲・フォークソング。洋楽から邦楽まで、思い出の名曲や名盤を紹介します。
2022年3月24日木曜日
2019年4月5日金曜日
「流星」吉田拓郎 1979年
『ラジオでナイト』での拓郎と70年代最後の名曲

毎週楽しみにしていた吉田拓郎のラジオ番組『ラジオでナイト』が3月いっぱいで終了しました。ひょっとしたら彼の最後のラジオ番組になるかもしれないと思っていたのでちょっと残念です。
驚いたのは、最終回のひとつ前の回で彼が2度めのガンの経験について喋っているときに涙で言葉が詰まってしまったことです。
苦しかった闘病を支えてくれた森下愛子への感謝の思いにこみ上げるものがあったのでしょう。あの吉田拓郎が泣くというシーンにリアルタイムで遭遇するとは思っていなかったので、なんだか感銘を受けてしまいました。
反骨心が強く、明るくてジメジメしたことが嫌いなはずの拓郎も歳を重ね、様々な経験をしてだんだんと丸く素直になってきたのだろうなと思います。
最終回の前に病気の話をしたのは一部の地域で放送が最終回だったことと、最後は明るくさらっと終わりたかったのでしょうね。ライブを控えて元気に番組を終了したのは、まあ良かったんじゃないでしょうか。
僕は中学高校の頃から彼のギターの弾き語りが好きだったのですが、後になっていいなと思うようになった曲がいくつかあって、「流星」もその中の1曲です。
この曲が頭に浮かんだのは彼がライブでこの曲を歌っているときに感極まってしまったことがあると聞いていたからです。大人の男が人前で泣くのはそうそうあることではないですからね。
最初は1979年にシングルで発売されて、テレビドラマの主題歌に使われたのだそうです。当時は洋楽に夢中でこの曲のことをまったく知りませんでした。
ベストアルバムなどにはバージョン違いで何度か収録されていて、気に入っているのは『月夜のカヌー』というアルバムの「流星2003」です。
ピアノのイントロとストリングスが綺麗なバージョンもあるのですが、これはドラムとギターが前面に出たややロックなアレンジで、一番大事なラストの『♪僕の欲しかったものは何ですか…』の終わり方がストレートで格好いいのです。
これも彼のラジオ番組で聞いたところによると、原宿かどこかで長い黒髪の素敵な女の子とすれ違ったのがきっかけで書いた曲だと確か本人が言ってました。
松本隆が詩を書いた「外は白い雪の夜」と、聴いていると何かこみ上げてくるような気持ちになる「流星」の2曲が吉田拓郎の70年代最後を飾る名曲だと思っています。今回のライブでもたぶんセットリストに入っているんじゃないでしょうか。
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2018年9月20日木曜日
西城秀樹と芳野藤丸のデュエット「瞳の面影」
西城秀樹とSHOGUN芳野藤丸の意外な関係

1979年にデビューしたSHOGUNは、今年の5月に急逝した西城秀樹に誘われた芳野藤丸が彼のバックバンドでギターを弾いたことから生まれたのだそうです。
芳野藤丸がギターを始めたのは大学に入ってからで、2年後には早くもつのだヒロ・スペースBANDに加入。元々バイオリンを習っていたとは言え、よっぽど音楽的才能が優れていたんでしょうね。
さらに来日したロッド・スチュワート&フェイセズの前座を務めたジョー山中のバンドでギターを弾いているのを見た西城秀樹に誘われて、迷ったもののアイドルらしからぬロックなステージが気に入って彼のバックを務めることに。
そのヒデキのライブで芳野藤丸がギターを弾きながら彼とデュエットした曲が、フォー・シーズンズのフランキー・ヴァリが歌う「瞳の面影(My Eyes Adored You)」です。
このシーンがYouTubeにアップされていて、初めて聴いたけどいい曲ですね。独特の甘い声で歌うフランキー・ヴァリのオリジナルも聴いてみたら、これがまたいい感じでした。
細かく上下するメロディーラインの合間に入るギターのオカズは如何にもギタリスト好みで、芳野藤丸がこの曲をヒデキに勧めたとのことですが、ギターを弾いていて気持ちいいというのもあったんだろうなと思います。
ザ・フォー・シーズンズと言えばクリント・イーストウッド監督の映画『ジャージー・ボーイズ』を見たけど、なかなか面白いオススメの映画です。
街のボスの使いっ走りをするようなチンピラの集まりだったグループが、素晴らしいボーカルと曲作りの才能のあるメンバーのおかげでブレイクするもののやがて仲違いをして…というストーリー。
映画のラスト、ウキウキするような曲「Oh, What a Night」をバックにインド映画みたいに出演者全員で踊るシーンがあって、ボスを演じたクリストファー・ウォーケンもクールに踊ってました。
さて、西城秀樹のファーストアルバムにも参加した藤丸バンドがSHOGUNにつながり、バックバンドの降板を申し出た彼らをヒデキは快く送り出してくれたそうです。さすがは多くの人に愛されたスターですね。
SHOGUNは「男たちのメロディー」や松田優作主演の大人気ドラマ『探偵物語』の主題歌「Bad City」などをヒットさせてあっという間に売れましたが、事情によりあっという間に活動を休止してしまいました。
芳野藤丸と西城秀樹のエピソードは夕刊フジに掲載の【ロックレジェンド芳野藤丸 ゲキアツ!!交遊録】を読んで知ったのですが、夕刊紙がこういう特集をしてくれるのは嬉しいものですね。
昔、出張の行きにスポーツ新聞、帰りに夕刊紙を駅の売店で買って新幹線で読んだりしてましたが、若い人たちはそもそもスポーツ新聞や夕刊紙など読むこともないでしょう。
自分がネットで情報を見つけておいてこういうことを言うのもなんですが、たまには紙の媒体に触れてみるのもいいと思いますよ。
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2018年9月3日月曜日
『サタデー・ナイト・フィーバー』ビー・ジーズ 1977年
ディスコブームを巻き起こしたビー・ジーズとジョン・トラボルタ

テレビで久しぶりに見た映画『サタデー・ナイト・フィーバー』。学生のときに見に行ったはずなんですが、内容をまったく覚えていません。
要約すると、土曜の夜にナイトクラブで踊るのが生き甲斐だった若者が、ほんの少しだけ大人になるお話ですね。
1977年公開で、主演のジョン・トラボルタはもうすぐ二十歳になるという設定ですから、当時の僕と全く同じです。
映画のオープニングでリズミカルに意気揚々と歩く主人公のトニーはブルックリンのペンキ屋で働いていて、すれ違う女の子が気になるどこにでもいる若者。
とは言っても父親は失業中、ダメな自分と違って両親自慢の兄は神父を辞めて家へ戻ってくる。それなりに抱えているストレスを唯一発散できるのが、得意のダンスという訳です。
劇中でビー・ジーズが歌う『サタデー・ナイト・フィーバー』は、 今聴いても心が少し軽くなるというか、適度にウキウキするナンバーです。
颯爽と踊るジョン・トラボルタはもちろんかっこいいのですが、懐かしかったのはみな同じ振りで踊るシーンで、同級生の女の子たちが踊るところを学生のときに見たことがあります。
それだけ映画がヒットして、みんなこの曲の振り付けを知っていたということでしょうね。ダンスを踊る女の子が可愛く見えるのはたぶん万国共通なんでしょう。
昔の日本で言えば、盆踊りで浴衣を着て踊る村の娘を見初めた若者が恋に落ちるみたいな。
映画の公開から40年が経過した今年、ビー・ジーズのバリー・ギブはリンゴ・スターと共にナイトの爵位を授与されたそうで、”サー”・バリー・ギブと呼ばれることになりました。
ビー・ジーズの弟二人ロビンとモーリスは既に亡く、ソロでデビューした末弟のアンディは30歳の若さで他界しています。残された長男のバリーはきっと寂しい思いをしているんでしょうね。
『サタデー・ナイト・フィーバー』40周年記念盤
オリジナル・ムービー・サウンドトラック(Blu-ray Disc付)Limited Edition
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2018年8月28日火曜日
吉田拓郎と中村雅俊と『半分、青い。』
吉田拓郎と森下愛子の縁を取り持った中村雅俊

radikoで聴いている『吉田拓郎ラジオでナイト』。毎週楽しみにしているのですが、ベテラン・ミュージシャンのお喋りの何が面白いかっていうと、もちろん昔話です。
先週は拓郎の現夫人、女優の森下愛子と付き合うきっかけをつくってくれたのが中村雅俊だという話が出てきました。
ちなみに最初の奥さんは六文銭の四角佳子(よすみけいこ)、2番めがアイドルで女優の浅田美代子です。森下愛子とはもう結婚して長いですから、よっぽど相性がいいんでしょうね。
さて、番組では中村雅俊の「いつか街で会ったなら」を流してましたが、やっぱりいい曲ですね。この曲については以前このブログで記事にしています。(「いつか街で会ったなら」中村雅俊 1975年)
その中村雅俊が最近NHKの朝ドラ『半分、青い。』に主人公のお爺ちゃん役で出演してて、ギターの弾き語りで「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌うシーンがあったのですが、これがまた年齢を感じさせない良い声でした。
この曲についても記事にしたことがあって、(「あの素晴しい愛をもう一度」加藤和彦と北山修 1971年) ラジオやドラマで流れる曲がブログの中で繋がってくるとなんだか嬉しくなってしまいます。
もともと朝ドラなど”絶対見ない派”だったのですが、以前たまたま実家で昼食をとっていたときに『あまちゃん』を見て以来、ちょくちょく見るようになりました。テレビを見るのは年寄りだっていうけど、あ、俺のことかなんて思ってます。
話はラジオに戻りますが、ラジオのパーソナリティとしてもキャリアの長い吉田拓郎はとにかく元気にひとりで喋る喋る。
井上陽水は体もでかいが声もでかいとか、小田和正のコンサートは女性が多くて羨ましいとか相変わらず笑わせてくれました。
そんな拓郎も現役のミュージシャンとしては大ベテランになりましたが、彼のニューアルバムが8月29日に発売されます。
なんでも「自ら厳選した究極のプレイリスト」だそうで、発売まで収録曲は明らかにされていません。大物だから許される手法だと思いますが、いったいどんな内容になっているんでしょうね。
『From T』吉田拓郎
追記(2018.09.07): このアルバムが初週1.2万枚を売り上げ、オリコン週間アルバムランキングで初登場10位を獲得。72歳5ヶ月は邦楽アーティスト最年長でのアルバムTOP10入りだそうです。めでたしめでたし。
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2018年8月24日金曜日
老舗ライブハウス「ロフト」のお話~平野悠インタビュー
最初は防音設備もなかった西荻ロフト

先日、講談社のWEBメディア「現代ビジネス」で、面白い記事を見つけました。日本のライブハウスの草分け、「ロフト」を作った平野悠という人へのインタビュー前後編『ライブハウスを創った男』『席亭・平野悠がいま明かす「新宿ロフト・誕生秘話」』です。
平野氏は大学紛争が激しかった時代に中央大学に入学するも中退。役所や出版社での勤務を経て、たまたまジャズのレコードが100枚くらいあったことから”ジャズスナックもどき”でもやろうと始めたのが「烏山ロフト」だそうです。
あまりのレコードの少なさにお客さんが同情してロックやフォークのレコードを持ち寄るようになり、常連客には当時芸大生だった坂本龍一がいたのだとか。
そのうち「はっぴいえんど」のレコードを聴いて衝撃を受けた平野氏はライブを見られる場所がなかったことからじゃあ自分で作ろう、ということで1973年に開店したのが「西荻ロフト」。
出演者は山下洋輔トリオやシュガーベイブ、桑名正博、頭脳警察、吉田美奈子、鈴木茂に伊藤銀次など錚々たるメンバー。ただし防音設備が皆無だったので、商店街の魚屋のおじさんが包丁を持って怒鳴り込んできたことがあったそうです。
無名時代のタモリの芸に爆笑した話や、客を呼べないバンドだったサザンの桑田佳祐の才能を見抜けなかった話などその後のエピソードも興味深く、インタビュアーの細田昌志氏もよく分かった人で、大変面白い記事でした。平野氏によれば、大事なのは「コミュニケーション」とのことです。
私も東京で仕事をしているときはライブハウスへよく行きました。新宿ピットインの渡辺香津美、渋谷クロコダイルのオルケスタ・デル・ソル、六本木バランタインⅡの阿川泰子、新宿ルイードのARBなどが懐かしいです。
有名なロフトにもそのうち行こうと思っているうちに東京から地方へ転勤になってしまい、その機会は逃してしまいましたが、ロフトが開店した当時のミュージシャンたちはライブができる場所に飢えていたんでしょうね。
ライブハウス「ロフト」青春記 平野 悠
2018年8月21日火曜日
『イーグルス:グレイテスト・ヒッツ1971-1975(The Eagles: Their Greatest Hits 1971-75)』
イーグルスの初期のベスト盤が米国歴代No.1に!

イーグルスの初期のベスト盤『イーグルス:グレイテスト・ヒッツ1971-1975(The Eagles: Their Greatest Hits 1971-75』の米国での累計販売数が3,800万枚に達して、マイケル・ジャクソンのモンスター・アルバム『スリラー』の3,300万枚を抜いて歴代第一位になったそうです。
彼らの初期のアルバム『ファースト』から『呪われた夜』まで4枚のアルバムからの選曲で、曲数は全10曲と少ないものの彼らの代名詞とも言える「Take It Easy」を始め、「Witchy Woman」「Desperado」「One Of These Nights」などこのブログでも過去に取り上げたことのある名曲揃いです。
カントリー・ロックの風味が強かった初期から、ハードな音も出すようになった時代までを追ったベスト・アルバムですが、美しいメロディーやハーモニーは一貫して変わりなく、そこがアメリカで永いあいだ支持されている理由なんだと思います。
好きだったグレン・フライが2016年に亡くなってしまったのは残念ですが、その後のツアーには彼の息子が参加したそうです。ツェッペリンの再結成コンサートには亡くなったジョン・ボーナムの息子がドラムで参加しましたが、どちらのバンドも残されたメンバーは嬉しかったでしょうね。
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